短期大学卒業後、「保育士」「幼稚園教諭二種」2つの資格を取得!
小さな頃から憧れの「幼稚園の先生」としてとある学校法人の私立幼稚園に就職が決まりました!
先輩からのキツい指導、保護者からのクレーム、慣れない書類と行事の準備。
辞めたいと思った瞬間は数え切れませんが、それ以上の喜びと感動に包まれて
気がつけば8年の月日が流れていました。
正直、もう少し、あと少し続けていたいという気持ちもありましが
結婚を理由に退職。
その後、主婦、パート、販売接客業などを経験し気がつけば30代後半。
その間、自分の子どもには恵まれず、転居をきっかけに
「また、大好きな子どもと関われる仕事がしたいな」と思うようになりました。
保育園に正社員として就職内定
転居先で就職活動を始めて間もなく、自宅近くの保育園に就職が決まりました。
面接時、家庭の状況などを聞かれた中で
「将来的に介護を必要とする家族はいますか?」と聞かれ主人と2人暮らしだったので
その旨を伝えると、幼稚園とはいえ経験もあるので初年度から正社員で契約してくれることになりました。特に子どものことは聞かれなかったのですが、自分はできにくい身体だと思っていたし、主人とも子どもがいない設定で将来の計画を立て始めていたので、どちらも年齢的な理由からか、その点については触れる事なく話が進みました。
勤務2年目の夏、体調不良が続く日々。妊娠?まさか〜
幼稚園教諭を経験してたとはいえ、保育園は厚生省、幼稚園は文部科学省、管轄しているところが違うというのは、こんなにも仕事の内容が違うのもなのかと驚きました。書類の書き方、保護者との接し方、保育計画、目標の内容、何から何まで全く違う!
初年度は正直言って、体力のない新卒のようなもの。
それでも毎日子どもに囲まれた生活は改めて新鮮で「アタシ、やっぱり子どもが好き!」とそれなりの充実感で満たされる毎日でした。
ようやく仕事にも慣れた勤務2年目、なんとなくだるい日が続き、気がつけば「あれ?生理がこない?」体調不良のせいかな、と思っていたものの主人と相談して念のため検査薬を…。
するとびっくり!まさかの陽性反応!「えーーーーーー」もちろん喜びは後から後から込み上げてきましたが、本当にできない身体だと思っていたので、驚きの方が大きかったです。
主人とあーでもないこーでもないとバタバタした結果「まずは病院へ」。
翌日、たまたまシフトが早番だったので、近くの産婦人科で検査をしてもらうとめでたく「ご懐妊」しておりました。
家族会議
喜びは大きかったものの、思いがけない妊娠だったため、不安要素が多すぎる!
①高齢出産によるリスク
②就職後間もなくの妊娠 → 職場の反応は?
③いつ、どのタイミングで誰に報告したらいい?
主人と2人、毎晩、一週間ほど相談しました。
最初の報告は園長先生に
①については後ほど。
私が勤務する園は、1つの社会福祉法人で2園経営しており、それぞれに園長が在任しておりました。どちらかというと、古い園が本部となってりましたが、2園とも保育内容や方針は大きく違い、それぞれの園長の方針や考え方に従ってカリキュラムが組まれています。
主人と相談した結果、まずは自園の園長に報告することにしました。
「相談したいことがあるので、少しお時間を頂きたいのですが」と相談を持ちかけると、何かを察してくれた園長が、私が遅番の日、全職員が帰ってから時間をとってくださいました。
「悲しいお知らせかな?」と切り出した園長。退職のお願いだと予想したそうです。「場合によってはそうなるかもしれません」と伝えた後に「実は、思いがけず妊娠してしまって…。」と言うと「おめでとぉ〜」と思いがけない反応。
就職後、まだ2年も経っていなかった事と、日頃から両園とも保育士不足に悩まされていたので、まさか、これほど喜んでいただけるとは思ってもいませんでした。
幸い、悪阻がなかったため、多職員への報告と、園児、保護者への報告は慎重に検討しましょうということで、その日は帰宅しました。
自園職員のみに報告
一週間後、ちょうど職員会議があったので、そこで自園職員にのみというかたちで園長から妊娠の報告がありました。「もう少し、安定期に入るまで、ここだけの話にしてほしい」ということと、私には「体調が悪い時は遠慮なく自分から申し出て欲しい」と2点強調してお話がありました。出産予定日が4月だったので、担任としていつでも引き継ぎができるよう、書類の記入は出来るところまで早めに取り掛かる事と、12月の発表会(合奏、合唱、お遊戯、劇)の準備はできれば最後まで責任を持って欲しいが、万が一ということもあるので、早めに取り掛かり、他の誰かがいつ急遽引き継いでもわかるように準備の仕方を工夫してほしい」ということを言われた。「いつでも交代するよ」という優しい言葉の裏に、勝手に「ただでさえも人手不足なんだから、発表会までは何としても頑張って!」とエールという名の見えないプレッシャーをかんじてしまったのはここだけの話です。